おうちでしごとするということ

脱サラ後の第2の人生で思うことの綴り

ブリティッシュレーシンググリーンのMINI

 

ブリティッシュレーシンググリーンのMINIに乗ってる。ゴーカートフィーリングを味わうほどスピードを出す年齢でもないのだが、丸い眼の愛らしい姿にはやられている。

 

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mini



私とMINIの出会いは今からちょうど40年前にまでさかのぼる。この年の夏に初めて東京に行った時である。大阪からエッチラオッチラ自転車に乗って東京に行ったのである。

 

東京ではブルックスブラザーズに行った。その後、代官山ハリウッドランチマーケットで赤い陶器のMINIの貯金箱を手に入れ、その愛らしい体型を脳に記憶したのである。

 

以来、街でMINI(旧型)と出会うたびに熱い眼差しを浴びせたが、大好きな中古車情報雑誌からは、ココロに響くMINIには出会えず、購入に踏み切ることはなかった。

 

次の3回目の車検は受けようと決断した。MINIの次の車は生涯最後の車とココロしているので、ブリティッシュレーシンググリーンMINIはまだまだ長く乗り続けたい。

 

我が家に届いた1通のレター

先日、我が家のポストに妻と二人の娘に宛てた1通の手紙が届いた。

 

見覚えのある筆跡の手紙、その差出人は10年前の私であった。差出人の住所は、愛知県犬山市博物館明治村で、住所の上には次の文章が添えられている。博物館明治村から投函された10年前のお手紙です。宛先不明の場合は下記住所までご返送下さい。

 

明治村は数多くの貴重な明治時代の建築物等を現地から犬山の地に移築した野外博物館である。そして、明治村の中には、1909年(明治42年)に伊勢神宮外宮の大鳥居前に建てられた宇治山田郵便局舎も移築されている。圧巻の建築物で重要文化財となっている。

 

この宇治山田郵便局舎を使用した博物館明治村簡易郵便局では、「はあとふるレター」との名称で、定形サイズの封書を預かり、10年後の同じ月に指定された住所宛に預かった封書を投函してくれる粋なサービスがある。

 

私は2011年5月、出張ついでに1人で明治村を訪れていたわけであるが、この時、宇治山田郵便局舎に入り、「はあとふるレター」の企画に感嘆し、家族宛てにお手紙を書き、郵便窓口に10年後の配達を託したのである。

 

所定の便箋と封筒を購入して、局内の作業台の上で、はてさて何を書き留めるものかとしばし案じたように覚えている。そして、一気に手紙を書き出したが、途中、なぜか涙がぼろぼろあふれ出たことははっきりと覚えている。

 

そんな手紙が先日、届いたのである。何を書いたかまったく覚えておらず、封は開けずに妻に手渡した。妻と娘が読み終えた後、何食わぬ顔で、緊張しながら手紙を読んでみた。気の利いた文章を期待したが、たいしたことは書いていなかった。

 

何はともあれ、家族が、そして私が10年後も元気に暮らしていたことを祝いたい。

 

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宇治山田郵便局(明治村

 

私と自転車とのつきあい

コロナ禍の中、20数年ぶりに自転車に乗ることとなり、あれこれ思い出してみた。

 

初めて自転車に乗ったのは小学4年の頃で、近所の子どもたちより随分と遅かった。我が家にもママチャリ(ミニサイクル)がやってきた。私はママチャリに乗って毎日、新聞配達をした。夕刊だったが雪の降る冬はとてもきつかった。

 

小学6年にセミドロップハンドルの自転車を買ってもらい、同級生たちと大阪の万博公園へはじめてサイクリングに行った。行き先や道順など、私が先導していたような気がする。ドロップハンドルへの交換や、10段変速など自転車の改造も頻繁に行った。

 

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中学に入ってからは、毎月のように大阪から奈良方面などへサイクリングに行った。友人と一緒の場合もあったが、徐々に一人で走るようになってきた。泊りがけのツーリングも経験し、大阪から天橋立、新宮、名古屋などへは1日で走れる脚力もついてきた。

 

近所に世界のパーツや完成車を陳列している自転車屋があり、何も買わずに店内をうろつく迷惑な坊主頭の中学生だったが、高校入学時にあこがれの旅行用自転車(ランドナー)を買ってもらった。一気に自転車熱が沸騰した15歳だった。

 

高校2年の夏休み前に中学から続けていたバスケットボール部を退部し、部長としてサイクリング同好会を作った。この頃から足が太くなり、太もも周り62cm、ヒップ100cm、ズボンはすぐにまたづれで破れ、母にあて布で何度も直してもらった。

 

高校時代は長距離ツーリングを楽しんだ。夏休みに能登半島から信州をソロで走り、卒業時には友人と福岡から佐賀、長崎を走った。耐久走と銘打って、一人で大阪から広島まで350kmを1日で走る試みも成功した。自転車を分解して鉄道に乗る輪行にも慣れてきた。

 

大学に入学してからは、1年生の夏休みに大阪-長野-東京を走った。この時は、寝袋を持参して野宿の旅だった。駅の待合室で寝ることが多かったが、適当な場所がない場合は駅前の歩道橋で寝ることもあった。水は郵便局、洗顔は駅前トイレが便利だった。

 

大学院1年の時、トライアスロンに興味を持った。水泳を練習するため大学を抜け出し、近くの市民プールでクロールを練習した。夏にはトライアスロン大会に出場し完走することができた。父と兄弟が応援に来てくれた。

 

最も印象に残る旅は、沖縄と北海道。北海道では、ミニサイクルで日本一周中の旅人と知床で知り合い、5日間ほど一緒に走った。沖縄は大阪-那覇-石垣のフェリー(片道3日)で往復6日は船上だった。西表島へは小さな船の甲板に自転車をくくりつけて渡った。

 

社会人になってからは、ロードレーサーにも乗りはじめ、琵琶湖1周サイクルマラソンやロードレース大会に参加していた。その後、20代後半にトライアスロンチームに入り、チームの仲間と一緒に練習し、デュアスロントライアスロンなど、たくさんの大会に出た。

 

31歳で結婚し、妻と一緒に自転車を始めようとマウンテンバイクを入手し、二人でオフロードレースに出場した。妻ははじめてのレースで先頭集団を走っていたが、落車してしまった。幸い、大きな怪我にはならなかった。ここで私の自転車三昧は止まった。

 

2020年、コロナ禍の中、運動不足を解消するため、自転車の購入を考えた。20数年ぶりの自転車。ところが、自転車の世界は道具が一変しており、最新情報を頭に入れるのに時間がかかった。そして、しぼんでいた自転車熱がまた湧き上がってきたようで心配だ。

 

購入した自転車はミニヴェロと呼ばれる小径(20インチ)の自転車。スピードは出ないのでポタリング(自転車の散歩)向き。まずは安全第一でヘルメットもかぶり、おだやかにのんびりと年相応に、家の近くのお寺や古墳などをぼちぼち訪ねている。

 

還暦までにチャレンジしたいことがある。これまでに自転車で国内40の都道府県を走破してきたが、残り7県を自転車で走りたいのである。このチャレンジについては、一応、妻の了解を得ているが、一人で行ってね、私は行かないから、と言われている。

 

奈良に在る古いため池について

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 奈良市内の西部には蛙又池(かえるまたいけ)と言う風光明媚なため池がある。近鉄菖蒲池駅の南側、歩いて数分の場所に位置する。この池は、とてつもなく歴史的に価値のあるため池である。築造は推古天皇の時代(607 年)とも伝えられ、日本書紀にも登場する。

 「我が国最古のため池」の称号は、現在、大阪の「狭山池」(616 年)にある。狭山池の年代は、発掘された遺跡を年輪年代測定で鑑定しているため精度が高い。一方、蛙又池の年代は書物等による伝承のみであるため、少々、分が悪い。しかしながら、蛙又池の方が最古である可能性は十分に高い。

 ため池とは、用水確保のために水を貯えた人工の池である。では、ダムとの違いは何か。農林関係では、堤高が15m 未満をため池、15m 以上をダムと呼んで区別している。蛙又池の堤高はほぼ15m未満、狭山池の堤高は15m以上なので、それぞれ「我が国最古のため池」と「我が国最古のダム」として共存するのが良いと思う。

 ところで、平成23 年12 月、奈良県橿原市で、所在地が不明だった「磐余池(いわれいけ)」と見られる6 世紀の人工池の堤跡が見つかった。日本書紀万葉集に収められた大津皇子の辞世の歌にも登場する磐余池である。日本書紀には、磐余池のほとりに聖徳太子の父、用明天皇(在位585~587年)が池辺双槻宮を営んだとの記述があることから、磐余池は上記の蛙又池や狭山池よりも古いため池である可能性が高い。「日本で一番古いため池」議論が熱くなれば良いと思う次第である。

 

 

在宅ワークは理想的な働き方

個人事務所を開設し、13年間、在宅ワークを続けている。


在宅ワークは理想的な働き方であると実感する。
その良いところを以下に列挙する。
悪いところもあるが、それはまた別の機会に書きたい。


・通勤がない。通勤時間は1年で約500時間(21日分)。
 (1日2時間、週5日勤務の場合) 
・仕事スペースが広く確保できる。
 昼間の自宅は空きスペースがたくさんある。
・事務所を借りるより、自宅の中で仕事をする方が
 省エネルギーで、経費も極小である。
・郵便物や宅配便の受取りは簡単で、
 発送する場合も電話一本で集荷が可能である。
・仕事(創作、文筆、熟考等)に集中できる。
 留守電があれば電話は取らなくても問題ない。


地震、豪雨、交通事故などの災害で被災する確率が小さい。
 (自宅の防災は必要)
・常時の在宅者がいる場合、
 自宅が家族の防災ステーションの役割を果たす。
・昼間人口の少なくなる地域では、防犯に一役買う。
 自主防災・防犯リーダに適任。
・インフルエンザなどの感染リスクが小さい。
 風邪を引く原因が思い当たらない。


・家族と過ごす時間が多い。朝食と夕食はほぼ毎日、
 家族と一緒に食事をとる。
・昼寝は簡単。寝室を利用すれば短時間で熟睡できる。
 短時間で切り上げる努力は必要。
・休憩も簡単。冷蔵庫、キッチンは使い放題で、
 リビングでおいしい珈琲も楽しめる。
・数分〜1時間程度の所用、家事、家族の送り迎え等は、
 苦もなく対処できる
・運動、音楽は自宅内外で、細切れ時間(20分〜60分)を
 活用して毎日できる。

葛飾北斎

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小学生の時、北斎の感想文を書き、
切手収集で神奈川沖波浦に憧れた。


すみだ北斎美術館ができあがった。
仕事の合間をぬって、行ってきた。


職人とは何かを考える機会を得た。
自分は職人になれるのか考えたい。


北斎は、老いる年を味方につけて、
精力的な創作家の人生を謳歌した。


寿命という障害がなければ誰もが、
神になれると、思ったに違いない。

じぶんで じぶんを よわむしだなんて おもうな。

にんげん、やさしささえあれば、やらなきゃならねぇことは、きっと やるもんだ。

「モチモチの木」より

よわむし = ?
やさしさ = ?
にんげん = ?


ますます、難しく、楽しく、退屈でない日々が、今日から明日へ続く。