おうちでしごとするということ

脱サラ後の第2の人生で思うことの綴り

ノスタルジック

先週末は用事があって大阪の実家に戻った。
自転車(ままちゃり)を借りて、昔懐かしい場所をぶらぶら走り回った。
高校生になるまで、市内を7箇所、転居したので、
あちこちに思い出の場所がある。20年以上、立ち寄っていない場所もある。



昔住んだ家の前を通る。まだ取り壊されていない。
私が居た時から30年は経っているので、
もう築50年くらい経過しているのではないだろうか。
町には知った顔は見当たらないが、表札が昔のままの家もある。
父と1回限り、キャッチボールした空き地はなくなっていた。



小学校の前を通る。中学校の前を通る。クラブ活動を思い出す。
この道を毎日、歩いたな、と思い出す。
あれは本当に事実だったんだろうかと、遠すぎる過去を思う。



商店街に行った。こんなに狭かったっけ、と思う。
お店の店主の顔を見ると、ああ、見覚えのある顔だ、
この人はここでがんばっている、とうれしくなる。



町の各所で秋祭りをやっている。
だんじりがやって来る。自分の前を通り過ぎる時、鼓動が呼応する。
引き手の団の中には、昔の知った顔がある。でも声はかけれない。
何かしら、昔のDNAが騒ぎ出す。



こんなに昔を回顧するなんて、俺も焼きが回ったな。