おうちでしごとするということ

脱サラ後の第2の人生で思うことの綴り

携帯電話が故障した

昨日、突然、前触れもなく、携帯電話がダウンした。
どのボタンを押しても反応なし。うんともすんとも言わない。
今日、重い腰を上げて、携帯電話の修理に行ってきた。
1週間の入院のようである。費用は無償。
代わりに変てこな形と色の代替機を借用する。


登録されていた電話番号が回復できないそうだ。
幸い、付帯するSDカードにバックアップを取っていた。
大量の電話番号データが回復できたが、しかし1年前のバックアップだった。
残念ながら、最近1年間のデータは消え失せた。グスン。


ハードディスク故障の悲惨な話も、最近、良く聞く。
数ギガ程度のデータになると、場合によっては、
百万円単位以上の修復費用がかかるようである。
データのバックアップの重要性を再認識した次第である。


もう一つの気づきは、携帯電話にどの程度依存すべきか、という点である。
今だからこそ、まったく持たない、発信のみに利用する、
といった使用法を再度、考えてみても良いのではないか。


便利であればあるほど、依存症に陥るのが世の常である。
現在、日本は携帯電話依存症で埋め尽くされつつあると思う。
1分、1秒を競う世界があるのは理解できる。
しかし、緊急時以外での利用が極めて多すぎるように思う。


メールの携帯電話への転送も便利なようで、実は弊害も多い。
読みたくないメールはわんさか来るし、通信費も馬鹿にならないし、
それよりも、メールが1通届くたびに、「I got a mail」と電話機に告げられ、
どこからのどんな内容のメールかを確認するのは、気分が落ち着かない。
1日1回程度のメールチェックが良い。


何事に対してもスピード感は大切である。
でも、全速で突っ走る中にも、
心に余裕をいっぱい持った、スローな生き方は随所に取り入れたい。


「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」
このコピーを知っている私は、もう相当古いんだろうね。